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悲しい物語を描くということ

こんばんは。藤夜アキです。

いきなりですが、まずはこちらの作品をお読み下さいませ(別に飛ばしても良いです←)。

去年の9月に、「悲しい物語のある理由」と題して書いた詩です。小説家になろうに上げていますが、今回は全文抜粋して来ました。

 

 あなたは言った。
「悲しい物語って、何のためにあるんだろうね」
 悲しみを知らないあなたらしかった。
 繋いだ手は力強かった。
 明日が来るのが怖い、そんな気持ちを、あなたが抱く日は無いんだろうね。
 強くて、ズルくて、かっこいいから。
 あなたの世界に、悲劇はいらないんだ。
 でもね、私が好きだって、ほんの少しでも思ってくれたことがあるなら、これだけは知っておいて欲しいな。
 悲しい物語は、悲しい人のためにあるんだよ。
 泣くために、分かち合うために、慰められるために。
 私だけが不幸せだ、って、それ以上、自分を傷付けないために。
 今より酷い瞬間に、向かわないために。
 弱い心が、ほんの少しの勇気を手に入れるのに、必要なんだよ。
 ねえ、知ってる?
 あなたと出逢った日、あの街に私がいたのは、悲しい物語を、劇場に見に行ってたからなんだよ。
 運命だ、って思えたよ。信じれたよ。
 それが間違ってない、って、分かってくれるよね。
 これからも、あなたとずっと一緒だから、あなたはきっと、これからもその理由は、分からないだろうけど。
 今でも時々、私には必要なんだ。
 私の悲しみはきっと、生まれた時から私の隣にいるから。
 あなたがプロポーズまでしてくれた、こんな私の隣に。
 だから、許してね、一人で悲しいドラマが見たいって言ったら、そっとしておいてね。悲しい本を読みたいって言ったら、背中を預けさせてね。
 全部全部、あなたと一緒にいるためだよ。
 私が、私らしくあるためだよ。

 

少し時間が経っているので、色々小恥ずかしいですが、悲しい物語を何故描くのか、という話を、それが何のためにあるのか、という観点から考えてみたのがこの作品になります。

それで、今度は悲しい物語を書く理由を書いてみようと思った次第なんですが、作品としては別途書くとして、自分なりに、悲しい物語を書く理由を、こういった創作の裏にある話としてまとめてみよう、と思ったので、ひとまずこちらで書くことにしました。

 

私の作品は、悲しい作品が多いです。

悲しみの理由は色々あれど、やはり、一番は自分に対しても、他の色々なものに対しても、喜びを感じることよりは、悲しみを感じることが多いからこそ、描く対象として自然と選んでしまうんだと思います。

 

悲しい物語は、好まない人も多いとは思います。辛い状況にあるのに、想像の世界でも悲しいものを見るなんて嫌だ、とか、そもそもしみじみした作品なんて読みたくないとか思われる方も、私の思うよりずっといるでしょう。

 

けれど、逆に、底無しに明るい作品を読みたくない人や、それを読みたくない気分になることだってあるはずで、不意に心が弱った時、苦しみから抜け出せない境遇にある時、同じように悲しみを味わっている人の姿を映し出す、悲しい物語は、そっと心に寄り添ってくれます。

 

でも、悲しみを味わっているという状況は、ノンフィクションでだって示せるはずで、そういった方が現実味があって、ひょっとするとその方が良い、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。というか、いるはずです。

では、何故フィクションで描くのか、それはつまり、美しさ、があるからです。

 

現実の中には、必ずしも美しさがあるとは限りません。むしろ、あることの方が少ないのは、誰しも感じていることでしょう。

それが人間というものの必然で、けれど、弱った心に必要なのは、有り得ないかもしれなくても、そういった美しさだと、私は思っています。

現実でどんな風に悲しみを乗り越えた話を目にしても、現実が持つ色は、どこか美しさに欠けていて、私の心には届きません。

ですが、創作の世界で悲しむ姿は、それに立ち向かう姿は、どこかとても美しい。美しく描いているからだとしても、美しい。

現実を生きるために、非現実の美しさによすがを求める。そのために、悲しい物語は、大きな力を持つと信じています。

私の場合、その悲しい物語が、悲しい現実から生まれているので、正直、ぐるぐる回っているところはあるんですけどね。

 

私は別に、誰かのために悲しい物語を書いているわけではないです。上に挙げた作品とか、今書いた考えとかを常日頃から持って、作品作りに励んでいるわけでもないです。

基本は、悲しくて、辛いから、その思いを一文字一文字に起こしているだけです。

ですが、悲しい物語を何のために書くのか、時折尋ねられることがあって、では、何のために書き、そして何のために悲しい物語があるのかを考えた時、こういった理由付けが出来ると思ったわけです。

 

私の作品を読んで下さる方に、何らか利益があれば良いとは思いますけれど、そこまで高尚な存在ではとてもじゃないですがありませんので、もし、そういったことがあるのなら、それはとても素敵なことだな、と思う程度ではあります。でももちろん、そうだったら良い、と実は思っている、そんなわがままな気持ちが本音です。

 

これからも幾多の悲しい物語を、私は書いて行くんでしょう。

それの一つでも、誰かの悲しみを和らげることが出来たなら、私は幸せになれるのでしょう。

でも、幸せになり切ったら、悲しい物語を書けなくなってしまうので、少しだけ、幸せに浸りたいと思います。